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2017.05.31 (Wed)

地方振興の事例から、ビジネスのヒントを学ぶ(第4回)

年商2億を生む原材料は、ゴミ同然の葉っぱだった

posted by 味志 和彦

 徳島県勝浦郡の上勝町は山々に囲まれた県中央部にあり、1980年代以前は林業やみかん栽培が主な産業でした。しかし1980年代になると林業は輸入品の台頭で衰退し、みかん栽培は局地的な異常寒波でほとんどが枯れてしまうという大打撃を受けてしまいます。結果、働き口が少なくなったため人口流出が加速。一時期は人口比率のうち50%近くを65歳以上が占めるなど、町は衰退の一途を辿っていました。

 そんな上勝町を変えたのは、周辺の山々にある「葉っぱ」です。

 日本料理などでは季節を感じさせる彩りに葉や花を「つまもの」として添えます。上勝町は誰もが見過ごしていた葉っぱを「つまもの」の材料とすることで、地方創生のビジネスを誕生させたのです。

山々にある「葉っぱ」がなぜ町を救ったのか

 上勝町を変貌させたきっかけは、当時は農協職員だった横石知二氏の発見でした。横石氏は大阪の寿司店で、隣席の女性らが寿司のつまものに大喜びしている光景を目にします。彼女たちはもみじを綺麗だとグラスに浮かべ、最後はハンカチに包んで持ち帰りました。そのとき、横石氏は「これはビジネスになる」と思い立ったのです。

 つまものを必要としている料亭は確かに存在しますが、商品として流通させている企業はほとんどありません。そして、上勝町の山々にはつまものに向いた植物が自生していました。横石氏は、つまものを出荷する企業を1986年に立ち上げます。

 当初は、つまものに適した種類や品質の葉っぱが分からずに苦戦します。またつまものについて知りたくても、一見さんである横石氏を相手にしてくれる料理人はいませんでした。

 しかし横石氏は、客として店に通いつめるなどして徐々に「つまもの」の仕組みを理解していきます。最適な葉のサイズや、料理との組み合わせ、季節・行事に関する種類など覚え、料理人のニーズが理解できるようになりました。同時に、横石氏を受け入れる料理人も少しずつ増えていきます。

 横石氏は次に、季節物は前もって準備するなど需要に対応した生産体制を築きます。この生産体制が整うと、販路が全国規模へと拡大します。時期によっては葉の価値が上がり、一箱当たり数万円の売り上げになることも。横石氏の企業の年商は2億円を突破するまでに成長しました。町で「ゴミ」扱いされていたものを、横石氏は「金の卵」に変えたのです。

ゴミ扱いだったものを「金の卵」にする着眼点

 このような成功事例は、時代を越えて見られます。たとえば、セメント・造船・鉄鋼業からなる浅野財閥を築いた浅野総一郎にも似たような話があります。

 浅野氏は、都会で味噌を包む竹の皮がお金で購入されるのを知ると「自分のふるさとの山では、その辺に捨ててあった。こっちでは、わざわざ金を出して買うのか」と驚き、商売を始め、これが財閥への一歩となったそうです。このような話を耳にすると、成功のヒントを見つけ出す「着眼点」の重要性に気付きます。

 横石氏がつまものを持ち帰る女性を見た大阪の寿司店は、年間800万人の客が訪れるチェーン店です。同店の社長は「800万人の中で、つまものをビジネスにしようと思いついたのは横石さんだけだった」と語っています。葉っぱで地方復興を成功させたのは、横石氏が成功のヒントを見つけ出す着眼点を持っていたからなのです。

着眼点だけでは成功しない、さらに必要なものとは

 ゴミを金の卵に変えられた要因は、着眼点だけではありません。横石氏は行動力も備えていました。アイデアを出しても、実際に行動へ移すには相当な精神力が必要になります。横石氏も葉っぱをつまものにするアイデイアを農協で話すと、周囲から反対されたそうです。そうした反対者を説得すると同時に、足繁く料亭に通って、つまものについて勉強するという熱意と行動力を周囲に見せたのです。次第に周囲からは反対の声はなくなり、つまものの採取に協力する農家が増えていきました。

 横池氏の企業は、上勝町の主要な産業に成長しました。つまものの採取で高齢者や女性の仕事を創生し、さらに町へ移住を希望する人へのインターシップ事業を行うなどして、町を振興する企業としてメディアに取り上げられるまでに成長したのです。このように周辺にある資源を見過ごして衰退していくか、資源を見つけて有望な地に変えていくかは、見る人の着眼点と行動力次第なのかもしれません。

参考文献
・横石知二『そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生』ソフトバンク・クリエイティブ
・笠松和市 佐藤由美『持続可能なまちは小さく、美しい 上勝町の挑戦』学芸出版社
・横石知二、鈴木俊博『いろどり社会が日本を変える』ポプラ社

味志 和彦

味志 和彦

佐賀県生まれ。産業技術の研究者を経て雑誌記者など。現在コラムニスト、シナリオライター。

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