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【特別企画】スペシャルインタビュー「あの有名人が語る!」(第22回)

「プレッシャーは克服しない」柳家小せんの仕事観

posted by 秋山 由香

 2010年に真打(最高位の身分)への昇進と同時に、柳家小さん一門の名跡(みょうせき:一門で伝統的に継承されてきた芸名)である「小せん」を継いだ落語家が、5代目・柳家小せん氏だ。小学生の頃から落語が好きで、中学の頃に寄席通いを始め、以降10年間、ほぼ毎月欠かさず寄席に通い続けたという。大学4年のときに一般企業への就職ではなく、落語家への弟子入りを選び、噺家(はなしか)としてのキャリアを積んで行くこととなった。

 名跡を継ぐときのプレッシャーやその克服法、ポーランドで落語ワークショップを行うという新たな挑戦、そして仕事をする上で大切にしていることなどについてたっぷり聞き、落語に生きる者ならではの「しなやかな仕事観」に迫った。

プレッシャーには「打ち勝たない」

――前編で、先代の小せん氏がいかにすごい方かということをお聞きしました。自身が「小せん」という名跡を継ぐと決まったとき、どのようなお気持ちでしたか?

 いやもう、怖いのひとことでした。前回もお話しましたが、先代の小せん師匠は、ふわ~っと高座(落語の舞台)にやってきて、一気に場の空気を掴み、その色を変えてしまうような、すごい力を持った方。まるで会場全体が魔法にでもかかったかのような不思議な場づくりをされる方でした。小せん師匠の魔法のかけらがほしくて何度も何度も稽古に通ったことは、いまでも忘れられません。

 尊敬する、憧れの、大好きな大師匠。そんな方の名前を継ぐわけですから、怖くないわけがない。しかも、私が名跡を継いだのは、先代が亡くなってからたった4年後のことだったんですよね。楽屋の落語家やお客さんにも鮮明に先代の記憶が残っているわけで、なおプレッシャーを感じました。

――そのプレッシャーには、どうやって打ち勝ったのでしょうか?

 いまだに打ち勝ってはいません(笑)。自分の師匠から「小せんを継いではどうか」と言われたときは「私なんかでいいんですか?」という気持ちでいっぱいでした。が、「断るのか、おめぇ」「なれるんだからなれ」と言われまして……。断る理由もないし、身の丈に有り余るような有難いお話だという気持ちもあり、外堀を埋められて襲名しました(笑)。プレッシャー9割、嬉しい・ありがたいという気持ちが1割。そのぐらい、プレッシャーが大きかったことを覚えています。

 いまでも心の奥底には「私なんかでいいんですか?」という気持ちがありますし、この気持ちは一生消えないのではないかと思います。しかし、「小せん」を受け継いだ以上、いつまでも萎縮しているのではなく堂々と開き直って、自分にできる落語を愚直に精一杯にやっていこうと気持ちを切り替えました。気持ちを切り替えても、やはり畏れ多いという気持ちは消えませんが……。5年、6年とやっているうちに、少しずつプレッシャーが小さくなってきたような気がします。「小せん」を継ぐことができて本当にありがたい、落語ができることが嬉しいという気持ちが強くなりました。

 すると襲名して3、4年経ったころからいろいろな方に「おっ、小せんになったね」と言われることが増えてきました。「先代の小せんとか、今の小せんとかではなく、『小せん』と言えばお前だね」と言われたときは、本当に嬉しかった。その言葉にすがって、なんとかやっています。

落語家という仕事は自己鍛錬がないと続かない

――「小せん」を継ぐのと同時に、真打へと昇進しました。真打の前とあとでは、仕事の内容に変化はありますか。

 基本的には変わりませんね。ただ真打になると、ギャラがお高めの仕事が増えてきます。一方で、二ツ目(落語家で中位の身分)だからと気軽に依頼されていたような仕事やギャラがお安めの仕事が減ってくる。真打へ昇進しても高いギャラに見合った実力を持っていないと、仕事が目減りするという事態に陥ってしまうんです。

 真打は高座の最終演者であるトリを務められるようになり、師匠と呼ばれて弟子を取ることが許されます。このように真打に昇進すると仕事に対する責任がグッと重たくなりますね。真打はサラリーマンの管理職のような部下をまとめる仕事ではありませんが、高いギャラに見合うよう自分の落語を磨き、弟子を取った場合は責任を持って育成しなくてはなりません。ただ、真打になったからといって、急に自己責任や自己鍛錬が重要になるわけではないんですけどね。前座のときから高座に上がる者の責任を自覚して、手を抜かずに己を鍛え続けることが欠かせません。位やポジションなど関係なく、常に真摯に一生懸命。そういう人が、お客さんを心の底から楽しませることができる「本物の真打」になれるものと思っています。

――そのように落語の腕を磨く中で、仕事が依頼される経緯はどのようなものがありますか? 直接? それとも事務所などを通して?

 直接依頼される場合もありますし、落語協会やプロダクションを通してお声がかかることもあります。仲間からの紹介も多いですね。その他に、自主主催で落語会(常設の演芸場とは違い、ホールや会館などで行われる単独公演のこと)を開くこともあり、これがご縁でいただいた仕事も少なくありません。

 たとえば、先日、ポーランドで行った公演も、落語会がご縁でした。落語にとても詳しい外国人の方が企画・運営をしているのですが、この方とは10年ほど前に、落語会が縁で知り合いました。落語家の間でも有名な“落語好き”で、4~5年前からヨーロッパで落語ツアーを主催されているそう。その一環で、今回、私に声がかかったというわけです。

 最初に落語の解説をして、落語を二席、短くて馬鹿馬鹿しい噺と、わりとストーリーがしっかりした噺を選びました。そして、最後に質疑応答という流れでプログラムを組みました。事前に台本を固めて、ポーランド語訳を用意し、私の喋りに合わせてスクリーンに字幕が出るよう準備していたのですが、それだけに大変で……。字幕と間違わないように噺をするだけで精一杯でしたね(笑)。

 そこで助かったのは、主催者が落語ツアーの経験が豊富なプロフェッショナルだったことでした。多少の間違いは現場で対応してくれ、「ここ!」というタイミングで字幕を出してくださいました。落語を深く理解して訳してくださったからだと思うのですが、笑いのタイミングも、日本語でやるのとあまり変わりはありませんでしたね。高座に上がる前はすごく怖かったのですが、思ったよりも熱心に聞き、ちゃんと反応してくれたので、高座が終わったときにはホッとしました。

――最後の質疑応答はいかがでしたか? なにやら面白い質問が飛んできたと聞きましたが……。

 「落語でシェイクスピアはできますか」とか「寿限無(じゅげむ:早口言葉や言葉遊びで知られる古典落語)は言えますか」とか(笑)。寿限無を披露したところ、会場が「おおーっ」とどよめきました。

 それと、ヨーロッパでは「昭和元禄落語心中」という日本のアニメが流行っていたそうです。会場に来てくださったお客さん、ほぼ100%の方がこのアニメを知っていて、落語の基礎的な知識をお持ちでした。クールジャパンの代表格であるアニメで落語を知り、興味を持ち、そして噺家の私がポーランドに呼ばれ、たくさんのお客さんが寄席を見に来てくださった。これはなかなかすごいことなんじゃないかと思います。今後も機会があれば、ぜひ海外で落語を広める活動をしていきたいですね。

初期の気持ちを大切に、あくまでゆる~っと生きていきたい

――最後に、小せん師匠がお仕事をする上で大切にされていることをお聞かせください。

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 「楽しんでもらうこと」、これに尽きます。長く仕事をしていると、ついつい「認めてもらいたい」「オレのうまさを見せつけたい」みたいな思いが強くなってしまうことがある。そういう気持ちも大切だと思うんですが、それが目的になってしまうといけないなあと思います。「認められたいという気持ち」や「うまさ」は、あくまでも手段です。目的は、あくまでお客さんを楽しませること。「自分が、自分が」になっちゃいけないと思うんですよね。

 好きだという気持ちだけでやらせてもらっている仕事で食わせてもらっているわけですから、そのありがたさを忘れちゃあいけないなと。いつも、落語家になったばかりの頃に持っていた思いやモチベーションを大切にしたいと思っています。木戸銭(入場料)が1,000円なら、1,000円以上の楽しさ、面白さ、感動や刺激を持ち帰ってもらいたい。そうやって人にも仕事にも誠実に向き合っていくことが、仕事を広げることにつながると実感しています。

 ただしガツガツ行くという生き方はしたくない。ゆる~っと生きていきたいし、周りにもそう思われたいと。「ゆる~っと」が私、「小せん」のイメージになればと。プレッシャーに打ち勝とうとするのではなく、あくまでも自然体で。「畏れ多い」という気持ちを認め、謙虚さを忘れず、ふわっと軽く受け入れることで、進むべき道が拓けるものと思っています。

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秋山 由香

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