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2016.07.01 (Fri)

遊びからビジネスの種を見つけた男たち(第2回)

シンプルすぎるヒット商品「フラフープ」の秘密

posted by 味志 和彦

 1950年代末期、世界中でとある遊びに人々が熱狂しました。大きな輪を自らの身体にくぐらせ、腰でもってそれを踊るように回し続ける――。あたかも何かの曲芸のようですが、行っていたのはサーカス団員ではありません。ごく普通の一般市民が老いも若きも夢中になったのです。

 今では誰もが知るようになった「フラフープ」。実はこれは第一回目で特集したフリスビーと同じくワムオー社の製品です。フリスビーと同じく商品開発の観点で非常に考えさせられる商品です。

フープ遊びの起源は定かでない

 円盤投げと同じくフラフープもはっきりとした考案者は見つけられません。なんとなく現代の遊びと思われがちですが、起源をたどれば人類黎明の時代にまでさかのぼります。

 フラフープの原型――輪っかを腰や身体の一部で曲芸のように扱う――は、それこそ世界のあらゆる地域に民俗習慣として見られます。古代エジプトではぶどうの蔓(つる)でフラフープ状のものを作っていたとされ、南米ではさとうきびの蔓を材料にしていたそうです。

 新しい例では14世紀英国で金属や木製の輪を作り、腰などでローリングさせる「フ―ピング」が大流行したと記録に残っています。

独創性ゼロでもブームは起こせる

 商標を持つワムオー社も、フラフープの独創性については主張していません。同社が開発を行ったきっかけは、オーストラリアを旅行した知人の土産話が元といわれています。現地の人が輪っかを腰で回して遊び、学校体育でもフープを使ったエクササイズが行われていると聞き及び、そこにインスピレーションを受けたとのことです。

 そもそも「フラフープ」という名前からして借りものです。昔からある「フープ」という言葉と、腰を回す動きがハワイのフラダンスそっくりなので「フラ・フープ」の名称が生まれていました。それを商標として登録したというわけです。

 つまり1958年に発売され大ブームをおこしたワムオー社の商品は、あくまで既製品を洗練させたものだったのです。

ただの輪っかが世界で大ヒット

 フープは元々竹などでできていましたが、ワムオー社は耐久性なども考えてプラスチック等に変え、デザインも今風にしました。しかし実もふたもない言い方をすれば「ただの輪っか」です。シンプルな商品として一つ1ドル98セントで売り出されます。

 しかし商品の簡素さに反してその後に起きたブームはすさまじいものでした。シンプルでありながら――もしくはシンプルであるがゆえに、年齢や性別も問わず誰もが夢中になります。仕入れる先から飛ぶように売れ、日に5万個製造しないと追いつかない状況にまでになりました。

 実に4カ月たらずで2,500万個、2年で1億個という記録を樹ち立てます。しまいに一種の社会現象となり「フラフープソング」という歌までできて、歌手は全米の人気番組にまで出演しました。

 50年代を通して人気は続き、日本でも発売1カ月で80万本の売り上げを達成、社会現象を起こしたのはよく知られるところです。

ヒットの背景にあるもの

 なぜここまでヒットしたのか? 遊び好きな人間の原始的な本能に訴えたこともあるでしょう。古代からの習慣にも沿っているわけで、いわば“リバイバルヒット”の側面もあります。受け入れられる下地はあったと言えます。

 日本でもかつて「パラパラ」という、上半身を動かすだけの簡単なダンスが人気になりましたが、フラフープも「シンプルで誰でも参加可能」でした。踊るように楽しみながら運動ができるので、学校体育にも採用されダイエットや美容効果も期待されたのです。

 しんどいシェイプアップや手間暇のいるスポーツと違い、フリスビーと同じように童心に帰って誰でも楽しくやれる遊びだったのです。

なぜワムオー社は世界レベルの大ブームを2度も起こせたのか?

 普通はヒット商品を出すだけでも大変です。しかしワムオー社は世界レベルの大ブームを二度も起こしたわけで、文化史に消えない足跡を残しています。このような稀な偉業を達成できた原因は何だったのでしょう?

 これらのヒット商品が作られた経緯を思い起こしてみましょう。

 何度も述べたように、フリスビーもフラフープもワムオー社社員がゼロから考えたものではありません。実際、商標登録は認められましたが「人類が何千年も親しんできた遊戯、新規性はない」として特許は認められませんでした。オリジナリティで判断するなら素材やデザインなどにわずかに見られるだけで、技術的にも高度な代物ではありません。それでも世界中の人々は熱狂し、こぞって買い求めたわけです。

 他に資金力や人材が豊富な大手はいくらでもあり、現地では数限りない人たちがフープ遊びを目にしていたわけです。「商品化のチャンス」ならよっぽど恵まれていたでしょう。しかし製品化で大成功したのはワムオー社だけでした。

何でもない世間話もヒットの種になる

 結局ヒット商品を生み出すには、情報の有無やオリジナリティ、技術力、資金などは必ずしも決定打とは言えません。

 ワムオー社の成功者たちはビジネスの種を求める目がありました。何でもない世間話でも聞き逃さず、そこから実際に商品にしようと動けました。ヒットを生み出すにあたって何が一番大切か、示唆されることは大きいです。

味志 和彦

味志 和彦

佐賀県生まれ。産業技術の研究者を経て雑誌記者など。現在コラムニスト、シナリオライター。

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