マイページ別ウィンドウで開きますでご契約・サポート情報を確認

2016.06.07 (Tue)

遊びからビジネスの種を見つけた男たち(第1回)

世界的なヒット商品の裏側に迫る「フリスビー」

posted by 味志 和彦

 ヒット商品を生んだり新しいビジネスの種を見つけられる人は、普通の人と何が違っているのでしょうか? この連載では一般によく知られた「遊び」を中心に、ヒット商品の裏側に潜む話を明らかにしていきます。第1回は、丸い円盤を投げて遊ぶフライング・ディスク「フリスビー」の誕生に迫ります。

フリスビーの誕生伝説

 砂浜でのパーティーを終え思い思いに遊び始める大学生たち。テーブルには食べ終えたパイ皿が散乱している。一人がふざけてそのブリキ皿を取り上げて投げた。円盤型なので遠くまでよく飛ぶ。面白がって何人も後につづき、しまいには投げ合いになる。一人が落ちたパイ皿を拾う。表面には「Frisbie’s Pies Company」とある。

 のちに世界で記録的な大ブームを起こす商品が生まれた瞬間だった……。

 これがフリスビー誕生伝説の一部です。しかし、本当かどうかは定かではありません。なぜなら「皿を投げて遊ぶ」行為なら古代からあり(“円盤投げ”はオリンピック種目にまでになっている)、はっきりした起源はたどれないからです。

「ビジネス」でとらえる視点

 古代から多くの人々が円盤を投げ続けていましたが、アメリカの退役軍人ウォルター・モリソンだけは、その他大勢と違っていました。

 彼はその日ビーチで恋人とケーキ皿(一説にはポップコーン皿とも)を投げて遊んでいました。軍隊でも食後に似たようなおふざけがよくあったのです。

 そして面白いように飛ぶ皿を投げ合う中、あることを思いつきます。

 「これをビジネスにできないか」

 ブリキ製のケーキ皿は、せいぜい一枚5セントしかしません。コストもかからず面白い暇つぶしを提供できるのです。

 いわゆる「空飛ぶ円盤(UFO)」の話が好きだったモリソンは、UFOにちなみ「プルートー(冥王星)円盤」と名付けて売り出します。

 安全性を考えて皿の素材をプラスチックに変え、色やデザインも工夫しました。時には宇宙服の仮装をして仲間とデモしてまわりました。人々に大うけしてよく売れたそうです。

 こうして「フリスビー」の原型が出来上がりました。

人の名前だった「フリスビー」

 これに目をつけたのが製造を手伝っていたワムオー(WHAM-O)社です。のちに「フラフープ」のヒットでも知られる企業ですが、社員はその円盤おもちゃの将来性を見抜いて権利を買い取ります。

 名前が「フリスビー」に変わったのは、イエールやハーバード大学の学生などがそう呼んでいたからだそうです。大学近くにウイリアム・ラッセル・フリスビー氏が設立した『Frisbie’s Pie Company』の工場があり、そこのパイ皿を使った投げ合いが人気だったのですが、皿に刻まれていた屋号から自然に「フリスビー」と呼ばれるようになったといいます。

 商標登録ではスペリングを少し変え「Frisbee」にしましたが、要は「フリスビーさん」が元なのです。

成功したPR戦略

 ワムオー社は、社をあげて積極的に広報に取り組みました。フリスビーはカリフォルニアの海水浴客や子供の間で人気が出始めていましたが、まだ地域限定でした。ワムオー社はすすんで子供たちにフリスビーを渡し、浜辺や目に付く場所で遊ばせ、学生に無料配布も行いました。

 また、社が後援する形でフリスビー大会やトーナメント戦を開催しました。副社長自ら国際フリスビー協会をたちあげて会長に就任、しまいには自分たちで「競技方法」まで作りだします。明快なルールとポイント制、チームでの団体戦など、現在につながる基本を編み出したのです。

 ここでただのおもちゃ遊びと一線を画す、「スポーツ化」に成功しました。

 サッカーなどと同じく、世界のフリスビーファンは競技者としても定着したわけです。今や国内だけで愛好者は150万人、世界大会はテレビ中継されIOCからも競技団体として認められているほどです。

大ヒット商品として世界に定着

 結果としてフリスビーは世界で2億枚以上売れるメガヒット商品となりました。今や「フリスビー」の名前を知らない者はおらず、人類に遊びとして根付いています。原型を編み出したモリソンは、ロイヤリティとして2億ドルを受け取ったといいます。

 発明者としての栄誉を手にし大富豪になったモリソンも、始まりはただの「皿投げ」を「商品にしよう」と思い付き実行しただけです。後を継ぎ世界中にブームを引き起こしたワムオー社も、大元となる商品は買い取りです。ともに核となるアイデアは、ゼロからのオリジナルではないわけです。

 当時似たような暇つぶしをやる人はいくらでもいました。作ろうと思えばモリソン達よりも早くに、大規模にできたはずです。実際コストも安いので零細企業や個人でも可能だったでしょうし、極端なことを言えば自宅でも製造できたでしょう。

 独自のアイデアでもなく、商品情報はオープンで、費用も技術もあまりいらない。参入障壁など無いに等しい。しかし、最終的にヒット商品と莫大な富を手に入れたのは、モリソンとワムオー社だけでした。この事実は重要です。

 考えてみると、子どもでもやれそうなことに何百億の鉱脈が眠っていたのです。なぜそこで特定の人間だけがチャンスをつかめたのでしょうか。独創性や技術力や資金力は決め手ではありませんでした。ここにヒットにつながる大きなヒントが隠されているのです。

味志 和彦

味志 和彦

佐賀県生まれ。産業技術の研究者を経て雑誌記者など。現在コラムニスト、シナリオライター。

メルマガ登録


NTT EAST DX SOLUTION


ミライeまち.com


「ビジネスの最適解」をお届けします 無料ダウンロード資料


イベント・セミナー情報

ページトップへ

ページ上部へ戻る