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2016.02.01 (Mon)

朝礼ネタ帳(第1回)

挨拶の語源

映画『おはよう』

小津安二郎の作品に『おはよう』という映画があります。
東京郊外の住宅街を舞台にした人情コメディ映画で、小学生と中学生の2人の子供が、親から「子供が余計なことを言うな」と叱られます。
それに対し、子供の抵抗として「大人だってオハヨウや、コンバンワ、イイオテンキデスネーと余計なことばかり言っている」と主張して、口をきかないことを決めるという話です。
挨拶を「余計なこと」と言われると、なんだか子供の言い分も間違っていないように思えます。挨拶が「合理的で必要不可欠なものか」と言われれば、もしかしたら、そうでないかもしれません。
映画は、普段元気よく挨拶する子供が挨拶をしなくなることで、近所の人達から不審に思われます。
「口をきかず、挨拶もしない生活」をおくる子供たち。
口をきかなくなった子供たちに、近所のお兄さんが「挨拶」が世の中で、どのような意味があるのかを一緒に考え教えるといった内容です。

そもそも「挨拶」とは、どのような意味でしょうか?

「挨拶」という漢字は日常的にあまり書く機会の少ない漢字で、書けないけど読めると言う方が多いと思います。
意味は、挨(あい)は「押す」、拶(さつ)は「迫る」。漢字だけの意味合いだと「押し合う」という意味になります。
「挨拶」と「押し合う」というと、なんだか友好と敵対といった、相反するような印象ですが、これは元々、仏教の禅宗で使用されていた「一挨一拶」(いちあいいっさつ)という禅語が、日常語の「挨拶」になったことが原因なのかもしれません。
「一挨一拶」は、ひとつ押しひとつ迫る、心を開いて接するというような意味合いで、問答を交わして相手の仏法修行の悟りの深さをはかる。
言い換えれば、ことばのやりとりで相手の修行の進み具合を調べるというような意味でしょうか。相手の悟りの深さを…などというと、現在の日常的な挨拶の意味合いと比べると、少し仰々しい表現にも思えますが、まったく違った意味になったかというと、そう遠からずという気もします。

パソコンやスマートフォンと向き合う時間が多くなり、人と挨拶をする機会も少しずつ減っている気がします。そして顔を見知った人達の中で慣れてきてしまうと、だんだん挨拶がおろそかになったりすることは、どんな人にでも一度や二度、経験があるのではないでしょうか?
挨拶を無駄なこと、余計なことなどではなく、相手に信頼感や安心感を生み出すことができる「挨拶」。
スマートフォンのアプリより、ずっと便利なコミュニケーションツールとして、「挨拶」を有効活用してはいかがでしょうか?

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